ていねいに生きるということ
ここ最近大阪に戻るたび、アメ村あたりでニューオープンの古着屋さんの多さに驚く。
置いてるものはこれまで価値を見出されてなかった、昭和がらがらのシャツやったりワンピース。
今までは400円とかやったのに、今やきれいなものやと4000円で売ってたりしてトレンドってすごいな〜と思った。
なんば、心斎橋は個性爆発してるひとたちばっかりで、みんなぎらぎらキラキラしている。
エネルギーに満ち溢れてて元気になる。
そんな心斎橋で出会った。
〇〇風じゃない、ほんもの感。
その空気をキャッチしたのか、お店に吸い込まれていった。
ものすごく美しいと思って手に取った服が80年ぐらい前(やったかな?)にフランスで使われてた衣装ですよと教えてもらい、さらに興味津々になった。
置かれているものの多くがむかしむかしから使われてる服、小物で。
ヴィンテージ風をずっと見てきてたからこそ、ほんものはぜんぜん違うんや!!と感動しまくった。
その服とかものが持つ、空気感が違う。おもしろい。
ひとつひとつ見てみると、裂けたり薄くなったり穴が空いてたりするのを補修してある。
去年の冬は繕うのがわたしの中でブームやったこともあり、この繕いに心が動かされてときめいてしまった。
繕い方、それに使われる糸の色。
それぞれに繕った人のセンスが光っててほんまに素敵。
ていねいにていねいにやってるものもあれば、ざっくりしてて逆にそれが良いあじ出したりもしている。
これは海軍の服やったらしい。
これはワンピース。
写真はないんやけど、100年前に羊飼いのひとが着ていたインディゴリネンのワンピースがあった。
色味が絶妙で馴染んだ色褪せ方。
繕い方もそれがもはやデザインですというくらいのセンスで、それについてたぶん30分近くお店のひとと話し込んだ。
これを着ながら仕事をしてたんか〜と思うと感慨深くて、こうやって2018年の日本で見られるなんかおもしろい縁やな〜としみじみ感じた。
むかしから補修しながら長ーく使うことができたってことは、もともとの生地がしっかりしているからなんやということにも気づいた。
わたしが繕ってたとき、元の生地がしっかりしてないから繕い始めからまた穴が広がっちゃうということがあった。(技術の問題なんかもしれへんけど。)
良いものを大切に、できれば自分の手で直しつつ、長く使う。
それもわたしの1つの夢。
むかしのひとはそれを当たり前にやってたんか〜じゃあきっとわたしにもできるはず。
超絶不器用で、できあがりがかっこ悪くても、一生懸命直してやったらよりそのものに対して愛情持てるよね。
ていねいに生きるということ。
わたしの周りにはこの考え方のひとが多い。
わたしの母の夢でもあるから、それに影響されて今のわたしがある。
アクタスで働いた経験もそれをより強いものにしてくれた。
こころの豊かさ。
ていねいに生きてんな〜って実感できると、しあわせ度もぐんと上がる。
良い出会いができてよかった。
ありがとう。