みんなひとつ と 許すということ
はじめに。
この記事はあまり心地のよいことは書いていないので
そんな気持ちになりたくないひとは読まないでください。
ただ、わたしの心のなかの苦しいことも記録して
それがこの先どう変わっていけたか、どうよりしあわせに
なったかを書き留めたいので書きます。
-・-・-・-・-・-・-・-・-
今日 きぬこさんのお家まで、自転車で山を下り遊びに行った。
2月の頭、同じように自転車で出かけたのやけれど、
しんどくて疲労が大きかった。
今日は山や森、川の音、風を感じようって心で小さく決めた。
そうしたらしんどいけれど、苦痛がなかった。
山とか木と話をした。(と思う)
わたしはこの一部で、この森も山も川もわたしの一部。
みんなひとつなんやな〜とエネルギーチャージできて、
しあわせな気持ちなった。
みんなひとつ。
でもやっぱり、このひとはひとつと思いたくない
そんな気持ちもあることは確かで。
その気持ちを持っている自分を悲しく思う。
きっと、わたしのなかにある何かが許せなくて、
それを映し出しているそのひとが許せない。
ということは、結局 みんなひとつ を裏付けている。
ただ、そこにある
価値判断も、嫌いも好きも何もない。
それができている木や川、山の心になりたい。
でもちょっと好きという感覚は持ってたいな。
それやと矛盾してしまうのだろうか。
答えが何もでない、そんな考えがうずうず渦巻いている。
いつかの滝での突然始まった浄化のように、
このすべてを愛せない心を浄化したい。
答えを求めずにも、クリーニング。
わたしにもできることがあるね。