たね、いのちを繋ぐ/小野の秋祭り
今年初めて納得のいくたねとりができた。
自分のつくったお野菜やまめから未来を繋ぐ、たねとり。
本来はいいもわるいもないけれど。
愛しみながらいっしょに過ごしてきた家族みたいな、そうやってこころが繋がって育てた感じが今回初めてしたから。
来年も繋いでゆけるのがうれしくってうれしくって。
なんでもそのまま置いておくと腐って土になって未来の手助けはするけど、いのちそのものを繋げるっていうのはまたちがったきらめきがある。
このあずきは、四万十で友だちになったあきちゃん(80ちかいベテランの百姓)からいただいたもの。
これはたねとりして未来に繋げる!と意気込んでいた。
そして丸おくら。
夏の厳しい日照りで畑はカラカラ。
地植えしたものには水をやらない!そんな野菜は弱っちくない!
というストイックな信念(水やりがめんどうがほんとうの理由かもしれない…葛藤)で野菜たちが全滅する中、このふたつは最後までたくましく生きてくれた。
このあいだ友だちとお話ししていて、
不思議におくらだけ育ったのよと話したら、
それってずっと自家採種で繋げているたねで強いからじゃない?と。
そうや!まめもこのおくらも、お米も自家採種のものだけしっかり育って最後までいのちを全うした。
これは驚きで、ものすごくうれしかった。
お友だちやなかまのところから、お嫁に来てくれて、そしてわたしのお家で生きてくれた。未来をのこしてくれて。
このまめはたぶん高知で古くから作られているものじゃないかな?
煎ってお茶にする。
ものすごく香ばしい香りになる。
ほうじ茶とは違う香ばしさ。
ずっとずっと夢に見ていた、田んぼのあぜにまく大豆。
自然農の先生があぜ大豆を作っていて、田んぼには絶対これする!と決めていた。
稲を植えるとき、草かりもわたしのすきなようにはできなくて、ものすごく葛藤を抱えて、こっそり泣きながらお手入れをしていた。
それを感じたかのように、わたしが植えたところはほぼ全滅。
水が不足して育たなかったのが一番の原因だと思うけど、
本当にわたしの植えたうるち米は収穫ゼロやった。
そんな中、自分のすきなように愛しみながら、わくわくしながらまいた大豆。
結果、美しくたくましく(しかもたくさん!)生きていた。
メッセージとしてわたしは受け取った。
気づきを得るためにやっぱりものごとは起こっている。
ありがとうやね。
お米
二代目は去年作ったお米のたねから。
一代目は苗が足らず、大家さんから分けて頂いた慣行農法の苗。
自然農の先生から頂いた 黒米とタイのかおり米のたねから。
水が充分だったとはいえ、やっぱり自然農でずっと自家採種されたお米は断然強くしっかりと育っていた。
植物たちはそのものが持ついのちのまま、育ち生きて死んでゆく。
ただそれだけで立派に育とうが、途中で虫に食われて病気になって死んでしまおうが、どちらもそのいのちを全うしたことには変わりない。
よい悪いの価値判断をしているのは自分
ということに気づけたのも、大きな収穫。
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今日はお友だちのきぬこさんが誘ってくれてきぬこさんの集落のお祭りに行った。
花とび(踊り)、お神楽、餅まき。
そのあと初めてわたしのお家でおちゃ。
きぬこさんと話すとね、自分のことがすきになって、もっときらきらすきになろうと思える。
いつもありがとう。
げんきをもらったので、豆乳を作ってみた!
何気に初めて作る。
またひとつ、夢を叶えた!